なんとなく

じわりじわりとこれからの生活スタイル、決まってきました。
3月から、自分の将来、進路に漠然と不安を抱き、「このままじゃ自分が納得できない!」と思って先生に掛け合い、研究をちょいお休みして自由に行動すること早2ヶ月、なんとなくスタイルが決まってきた感ありです。

悩みやすい性格であるため、色んな人に心配させたりしたが、大丈夫になってきた!
自分の決断に自信が持てない性格も、これから改善していこう。

スタイルが決まってきたからといって、その形に執着することはしない。
臨機応変に対応は変えていこうと思う。

ただ、今は自分の考えてる道にしっかり光当ててはっきりさせて、自分自身をもっと知ろう、と考える次第であります。

あー・・・

昨日久々にクラスのメンバーと飲んだ。
飲んで2次会したら、6時だった。

たわいもない話したり、ボンバーマンやったり、みんゴルやったり。
とりあえず、俺はどーしょもなく下手でしたさ。

その中で・・・


あーやっちゃったよ、やっちゃいましたさ。
今まで全然やる気なかったのにーー
時にはちょいやろっかなーと思った時期があったのは事実だけどさ。
けどまさかこのタイミングとは・・・
お酒の力ですね。

刺激

自分から既存の輪、コミュニティーに入っていく
みんなが1からの初対面同士の輪ではなく、自分だけが新顔の状態

緊張と不安、期待と興奮、色んな感情が交じり合う感じ
必要以上に神経を使ってしまう気疲れ
周囲の自分を観察する目に神経が磨り減り
一挙手一投足チェックされているような、少しばかし自意識過剰的な感覚

自分の中では最も刺激的な感覚が得られる条件の1つ
輪に入る直前は逃げ出したくもなる

だが、その輪の中で緊張しながらも何かをやり遂げる
すごく大きな達成感を得られる
何ともいえない高揚感と親睦感

やめられません

ついに

部屋にネットつないだ!
これから部屋で調べ物とか出来るようになったことに感動。

引きこまらないように注意は必要だが。

大学院生活

大学院

入学前:自分の専門とする分野を集中的に学び、社会に還元する場
     大学の教育が「広く浅く」だとすると、大学院は「狭く深く」

現在:入学前に考えていた分野を離れ、興味のある分野を模索中
    大学時代、専攻していた研究はしばしお休み状態

本来ならば、自らの進路については入学前に考えるべきこと。考えをまとめないうちに大学院進学を考えたことは、軽率だった。だが、うだうだと大学院で研究を進め、就活して修士とって就職するより、多少回り道でも自分が納得できる道を選びたい。もう少しばかし親のスネをかじらせてもらおう。

こんな考えは甘えかもしれないけど、いいよね?

旧友

GW
残念ながら会えなかった友人がいた。
久々に会う友人がいた。

GWに会えるのかどうかという、簡単なやりとりのメールを通じて思った。
久々に顔を合わせ、会話していくなかで思った。
根底にあるソイツは変わっていなくとも、確かに「変わった」ソイツがいた。

人は周囲の生活環境によって、または心境の変化によって変わってくる。
それはなんとなく分かっていた。
実際、中学・高校時代の友人たちも「変わって」いた。
しかし、1ヶ月ちょっとで変わっていたことに、多少の驚きがあった。

明らかに外見から変わってしまった変化、会話を進めるうちに気づく変化、どちらが印象深いだろうか?
俺の場合、後者だった。

「昔と違うね」なんて言っても、そう思うのは自分だけかもしれない。
だから言わなかった。
だが、そこから感じたこと。
人間関係は、日々変わっていくものだってこと。
接し方、会話内容、出会い方・・・。

現状維持なんて、そうそう出来るものじゃない。
なぜなら今現在、学生と社会人の狭間にいる身分であるから。
明らかに変化を求められる時期にいるのだから。
少しずつ変わっていく心構えを身につけなければ。
変わっていく技量を身につけなければ。

「死」に直面して

先日、特に幼少時代にお世話になった人が亡くなった。
享年88歳。
突然の訃報。
ただ、その話を聞いた直後は、あまり実感が沸かなかった。
こういうと失礼であるが、ここ最近全然会っておらず、自分のなかでそれほど大きな存在ではなかったから。

ただ、亡くなった姿、周囲の反応から、じわりとくるものがあった。
お通夜、告別式、多くの方が訪れていた。
その様子を見て、「あぁ、皆に好かれていたんだな」と感じた。

高齢社会を反映している光景なのか、自分の周りにも70過ぎた親戚は多い。
今回の式の準備段階で話をした人の中にも、沢山いた。
年月が過ぎるということは、自分が成長していくと同時に、その先に待つ「死」への方向にも進んでいくことなのだろうか、と感じたものであった。

式の終わりにお坊さんがこんな話をしていた。
「葬式とは悲しいもの。だが、これをすることで故人の存在意義を考えることに繋がり、その人が生きていた証を心に刻むことが出来る。それと同時に、自らの生き方を再確認し、自分の生き方の軌道修正を行なうきっかけになる。」

確かにそうだ。
故人を慈しむ気持ちが心に刻み込まれた。
自らの生き方、進路に対してより深く考えるきっかけとなった。
自分が死を迎えたとき、周りにどれくらい涙を流してくれる人がいるのか。
それはその人の一生の価値を測るバロメータとなるであろう。(もちろんそれだけでは測りきれないが)

自分自身に嘘偽りなく、かつ人のためになる仕事がしたい。